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  • 2018.08.07 Tuesday

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淡路島・おのころ島へ

  • 2018.08.02 Thursday

御名形「淡路島だよ。日本国の初めの島だ」

祟「正確に言えば、二番目」

御名形「そんなことは知ってる」

 

ということで、ずっと行ってみたかった小説QEDの聖地!

初の淡路島!

淡路島と云えば淡路廃帝。ってそんな風に短絡的にマニアックに淳仁天皇の御聖跡巡りをしました。

御名形「そして、伊弉諾神宮に参拝した」

祟「おのころ島神社は?」
御名形「…いちいちうるさい男だな、きみは」

御名形「おのころ島神社には、以前に一人で参拝したことがある。ちなみにその時は旅客船で沼島に渡り、そちらの島のおのころ神社にもお参りした」

祟「うらやましいね、俺も一度行ってみたい。両社ともに日本最古と謳っている神社だ」

 

ってことで、おのころ島神社〜〜〜〜!!!!!

おのころ島神社の絵馬もゲット!!!

そういえば、古事記では「淤能碁呂島」

日本書紀では「磤馭慮島」という表記になっています。

自ずから凝り固まってできた島ということで「自凝島」ともいうようです。

↑ おのころ島神社鳥居横ににあったの。

↓ 沼島にあったの

おのころ神社には船に乗っていきます。

御名形「きみは『古事記』の、国生みに関する記述における、伊弉諾・伊弉冉尊の手にした天の沼矛のことを言っているんだろう。伊弉諾・伊弉冉尊は、天の浮き橋から沼矛を差し出して国土をかき回した。そして一度引き上げた時に、『その矛の末より垂り落つる塩、累なり積もりて島となりき。これ淤能碁呂島なり』という段だ。」

おのころ神社は、山そのものが御神体。

社殿も結構上がったところにありました。

おのころ神社から見る空も海も…めっちゃキレイ!!!

拝殿脇には伊弉諾・伊弉冉尊の像。

足元にはおのころ島らしきもの。

 
下山途中に赤黒っぽい大きい蛇を踏みそうになってビビったよ…  

てくてく歩いて(30年前に来たことある友人によると、昔は車は無かったんだって!今は軽トラが結構走ってたけど)

上立神岩

むか〜しはもっと大きくて、徐々に浸食されて小さくなってきてるんだと、神宮寺のご住職に教えていただきました。
現在でも30メートルの巨石らしく、過去はどのくらい大きかったのか想像もできません。

 

そして、また船で淡路島に戻って…

念願の 伊弉諾神宮〜〜〜!!!

 

祟「あと、その他にも香木伝来の記念碑などもある」

沙織「香木…って?」

祟「推古天皇3年(595)に、沈水香木ーつまり沈香が、淡路島に日本で初めて漂着したといわれているからね。ちなみに、沈香のうちで光沢があり黒色の上等物が伽羅だ」

沙織「知ってる知ってる。お姉ちゃんが大好きな香り。しょっちゅう薫いてる」

あった〜〜!!!!

売店にはお香もいっぱい売ってて、そういえば淡路島観光案内の地図にも香りを連想させる地名や施設名をいくつも見かけました。

そして…

例の袋とじのページにあった立て札!!!!!!!
次は播磨国一の宮 伊和神社に行きたい〜〜〜〜!

 

ああ、あっという間の一泊二日の淡路島でした…

小説読み返しては反芻してます♡

また行かなきゃ…♡

淡路島・淳仁天皇御聖跡巡り

  • 2018.08.01 Wednesday

御名形「淡路島だよ。日本国の初めの島だ」

祟「正確に言えば、二番目」

御名形「そんなことは知ってる」

 

ということで、ずっと行ってみたかった小説QEDの聖地!

初の淡路島!

そして、淡路島と云えば淡路廃帝!淳仁天皇です。

733年生まれ。天武天皇の孫。

3歳で父(舎人親王)が亡くなり、後ろ盾もなく細々と過ごしていたが、藤原仲麻呂に担ぎあげられる。

在位は758〜764年、と約6年(25〜31歳)

天平宝字8年10月14日(764年11月11日)淡路島へ流される。

765年10月(32歳)亡くなる。

『淳仁天皇』という名は明治になってから。

淡路島と云えば淡路廃帝。ってそんな風に短絡的にマニアックに連想するのは私くらいかも…??

(岡山=吉備=吉備真備的な…)

最初に淳仁天皇淡路陵から巡りました。

脇には天王池という名の池が隣接していて、なかなか大きくて立派な御陵です。

池の周りからぐる〜っと1周しようとして、出来なくて、田んぼのまわりをぐるぐる回りました…

淳仁天皇淡路陵から約1キロ先、当麻夫人墓があります。

淳仁天皇のお母さん当麻山背(たいまのやましろ)さん。

宮内庁の案内には「崇道尽敬皇帝(すどうじんけいこうてい)妃 大夫人山背 淡路墓」となっています。

崇道尽敬皇帝は舎人親王のこと。

淡路島へ流されたときにお母さんは付いてきてくれたけど、奥さんは一緒に来なかったんだなぁ…というか記録が残ってない…なんか寂しい…

そして淳仁天皇淡路陵から約4キロ先、大炊神社へ。

天皇になる前の名前は大炊王(おおいおう)ですしね、そのまんまの名前です。

こちらにもお墓の伝承があります。

大炊神社から約3キロ離れた先にある 野辺の宮。淳仁天皇の屋敷跡です。

境内には「天皇神社」という小さなお社があります。

野辺の宮から徒歩4、5分のところにある「丘の松」です。

「市陵墓参考地」との宮内庁の看板があります。

こちらを散策していたら、ちょうどここを管理されている人が戻ってこられて「昔は大きい松があったんや」と色々教えてくださいました。

野辺の宮から約2.5キロ。淡路国国分寺跡へ!

跡!ってありますが、ちゃんとお寺も存在します

正面のお堂の中には古代瓦がいっぱい並んでいました。

塔跡の中心にある基礎石の上に立つお堂。大日如来さまがいらっしゃいました。

お堂の周りにも基礎石がゴロゴロしています。大きいなぁ…

宝蔵にあった昔の境内を描いた絵も七重の塔だったし、きっと大きい塔だったんだろうなぁ♡

国分尼寺だったとされる跡地にあるお堂を教えてもらって行きましたが、カワイイ人懐っこい猫がいて、猫を触ってただけでこの辺りの写真撮ってない…

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